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リサコラム
本日のオードブル
第60回

いつもので、
 
木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンに1990年より勤務し、400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
16年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。好きな作家は夏目漱石、中谷彰宏、F.サガン、プルースト


  ”あちらの女性にいつものやつを作ってくれないか?”
      ”ラフランスのスライスも添えてくれよ” 

 

       


いつもので、



 外に出ると、白く薄い月が出ていた。タートルのえりをひっぱり上げ、ジャケットの

ボタンを掛けながら、リサコはぶるっと身震いした。カレンダーが最後の1枚にな

ると、温暖化とはいえ、ずいぶん肌寒く感じる。冬はやっぱりやってくるらしい。イ

ンターロッキングの歩道は、低いパンプスのカカトでもちょっと歩きづらい。それで

も早く店に入りたい気持ちが彼女の歩幅をだんだんと早めた。いつものドアを開

ける。早速注文しようかと定位置にやってきて、周囲の状況を見渡すと、数人が

彼女より先に自分たちの番を待っているようだった。シルバーグレーの紳士風の

彼は、穏やかな口調で自分の好みを伝える。リサコは、自分の番がやってくるの

をじっと待った。そして一言「いつもので、」と言った。「はい、いつもので、」彼女

はその一言に安堵感を感じると、カウンターの端においてあるワインの案内板に

目をやった。
                                                  


 日めくりは“あと8日”を示していた。“ボジョレ・ヌ-ヴォ(Beaujolais Nouveau)

今年の解禁日11月15日まで“あと残すところ8日”という意味だ。その日の午前

0時まで、販売しても飲んでもいけないという、厳格な解禁日は日本でもすっか

り有名になり、定着してしまった。“ボジョレ・ヌ-ヴォ”とは、リヨンの北、フランス

南東部に位置するワインの産地“ボジョレ” (Beaujolais)地域でのみ生産される

その年の最初にできた新酒のワイン”という意味である。赤ワインは
ガメイ種

いう品種のみを使ったものに決められている。その昔は、地酒の新酒を祝って飲

む日常的なものだったらしいが、しかし今では日本は1000万本以上を輸入す

る、世界一の輸入国になり、ボジョレ・ヌ-ヴォの総輸出量の50%を占めるまで

になっているらしい。
                                            


 もう20年ほど前、リサコはまだブームのはしりのころに初めて飲んだ。それは、

知り合いの酒問屋の社長さんに頼まれて、ボジョレ・ヌーヴォを輸入することにし

たから、フランス語をちょっと訳して欲しいといわれ、契約書のようなものを訳した

ことがきっかけだった。ワインの知識もなく、ボジョレ・ヌーヴォは教科書で聞きか

じったくらいのレベルだった。酒問屋の社長さんは、その後、彼女にお礼の意味

でその新酒のワイン1本とクリスチャン・ディオールのストッキングを10枚くらいくれ

た。彼女は、初めて飲む“ボジョレ・ヌーヴォ”なるものに期待を膨らませ、栓を抜

いたが、酸味も強く、当時の彼女には残念ながら、おいしいとは思えなった。仕

込んでから2ヶ月で急速に熟成されるワインは、“初々しくフレッシュで、フルーテ

ィ”とよく表現される。ブランデーのような芳醇な香り、まろやかで、ふくよかな味

わいをイメージしていた彼女のフランスワインデビューは当然ながら、がっかりす

るものとなった。そのとき、新酒に新米のおいしさを求めてはいけないことも初め

て知った。また、ボジョレ・ヌーヴォと一緒にもらった箱入りのディオールのストッキ

ングは、周囲の人にうらやましがられるほどの履き心地でもなく、まだアツギなど

の日本のブランドで販売されていたサポートタイプのストキングのほうが彼女には

心地よく感じられた。まるでボジョレ・ヌーヴォのそれと同じで、ちょっと期待はず

れのイメージが重なって、思い出深い出来事となった。



 それから数年、チリワインのカベルネ・ソーヴィニョンやオーストラリアワインの

シャ ルドネなどのおいしいワインが1000円くらいでたくさん飲めるようになった。

もし、それらのワインがボジョレ・ヌーヴォより早く日本に紹介され、食卓にも多く

上っていたら、ここまで多くの日本人が“ボジョレ・ヌーヴォ・ブーム”に沸いただろ

うかと疑問に思う。ボルドーやブルゴーニュの銘柄ワインに象徴されるような高級

なフランスワインでなくても、日常で飲める安くておいしいワインは、実はたくさん

あったのに、フランスワインの“解禁”なんていう言葉で巧みに踊らされ、それを

知らなきゃ、流行遅れに見られるようなそんな風潮も確かにあった。よその国の

習慣を輸入して、すぐに経済に結びつける“イベント経済の国、ニッポン”の精神

もある意味ではすばらしいと思う。しかし“ボジョレ・ヌーヴォー”を11月第3木曜

日に飲むことに彼女は興味を感じなくなっていた。ワインを常に飲む習慣のなか

った、20年前の日本人の生活にいきなりやってきて、ハイセンスなことのように

流行らせる日本のブームのつくり方にも、ちょっと嫌気がさしたからだ。それは、ち

ょうどクリスチャン・ディオールをはじめ多くのヨーロッパブランドが、その販売戦略

の違いから、一気に日本から撤退した理由のようにも思える。               
                


 昨日リサコは久しぶりに日帰りのタイトなスケジュールで出張に行った。行きつ

けのお店のランチにたどり着くには時間が足りず、ちょっとふんぱつして、六本木

に最近できたホテルのフレンチレストランでひとり遅めのお昼をすることにした。す

でに多くの客は帰ってしまった後で、1組を残して、外に向かって視界を広げた

窓側の席まで広々ときもちよい空間が広がっていた。ゆっくりとした歩調でそこま

で案内する女性が「よろしければお名前を」とたずねてきた。彼女が名乗ると、テ

ーブルで待っていたボーイに小声でその名前を伝える。メニューを渡すときから

「お客さま」ではなく、名前で呼びかけるためだ。グラスには最初は常温の水が

注がれ、食事の終わりには冷たい水が注がれる。その間、彼女はお天気の話か

ら、料理の美しさと味をほめ、初めて会った給仕人が運んでくるたびにちょっと会

話をする。テーブルで会計を済ませると、彼女は「おいしかったぁ!とっても満足

しました。また来ます!」とまるで常連のようにかろやかな足取りで帰ったことを

思い返していた。



 「お待たせしました」やっとリサコのもとに注文の物がやってきた。「ぇと、しらたき

にこんにゃく、厚揚げ、だいこんですね。からし、3つ入れときますね。」「はい、い

つもすみません」「熱いので、お気をつけて」「はい。今日は冷えますね、ありが

とうございます!」リサコはこのところ毎日のようにお昼ご飯におでんを食べる。

しかも最近できた同じコンビニで同じ物を注文する。今までコンビニでおでんを買

ったことがなかったが、このコンビのおでんにはガラスのふたがしてある。衛生上

それを好ましいと思ったからだ。理由は単純である。しかもベジタリアンメニュー

である。たとえコンビにとはいえ、同じものを続けて注文することで、お店のスタッ

フも自分のことを覚えてくれる。それは彼女の顧客から学んだことだ。自分がい

いと思った物、おいしいと思った物を見つけたら、そのお店に足しげく通い、自分

の好みをそこのスタッフに熟知させる。常連になって悪いことは何もない。いや、

常連にならなくては意味がない。彼女の顧客と同じように、「いつもので、」これだ

けすむからである。
                                             































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木村里紗子 Risaco







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