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リサコラム
本日のオードブル
第71回


シールはがし

 
木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンに1990年より勤務し、400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
16年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。好きな作家は夏目漱石、中谷彰宏、F.サガン、プルースト

     「アーリャまあ、蛍がたくさん出てきたわ!」

 

       

シールはがし






「すみません、どうしてもシールがうまくはげないんです」シールはがしに限界

を見出した様子のユカはリサコのところにベッドリネンのビニール袋を持ってきた。

メーカーから送られてきたベッドリネンの袋が万一汚れていたり、あるいは店頭で

汚損した時は、予備のビニール袋に入れ替える。その際、裏に貼り付けられてい

る商品タグのシールは予備がない場合がほとんどなので、つまり貼り替えること

となる。しかし、そのシールが時にはうまくはがれないことも多々ある。ユカが持っ

てきたはがされることを嫌がったシールは、10cm角くらいの四角いシールの四

隅すべてが、途中まではがしたが、破れそうになったため、それ以上はがすのを

断念した跡を残していた。「そうね、それじゃ残り2つ、私がはがすから、任せとい

て。私ね、“シールはがしの女王”って言われているのよ」「ふふふ、シールはが

しの女王、ですか?」真面目なユカはかわいらしい声でちょっと不思議そうに笑

った。“シールはがしの女王”は、シールはがしのコツを常にみんなに伝授してき

た。「シールの気持ちになってはがすのよ」過去には「どうしてもシールの気持ち

になれませんでした」と破れたシールを見せにくるスタッフもいた。
           


 “このシールが最初ここに貼られたときは、はがれないよう、しっかり貼られたに

違いない。つまりシールは、はがされることを嫌がっている”今からやらねばなら

ないたくさん仕事のことを考えながらそう思った。“至急のファブリック加工品の

指示書作成が待っている”。シールはがしの女王はシールに話かけ、頑固なそ

の気持ちをなだめすかす。それからジェーン・バーキンの歌を心の中で口ずさみ

ながら、徐々にはがしにかかる。指先に、手の甲に微妙な力加減を加えながら

彼女はこんな単純作業が実は好きである。がしかし、DM原稿の校正もしなくて

はならない。数年前、クリスマスカードの原稿を校正した後、PDFファイルをパ

ソコン上で失くしたことを思い出した。「確かに保存したんですが、保存先がわか

らなくなってしまったんです。すみません」その電話を受けて、印刷会社のデザ

イン担当者は急いで彼女の元にやってくると、検索作業を始めた。「ないですね

ぇ~」気のいい担当者は、辛抱強く検索作業を続けるが、パソコンはなかなか見

つけ出してくれない。もう小一時間もかかってしまった。「すみません、もう一回

校正し直しますから」と彼女が言った途端、その原稿ファイルが検索にひっかか

った。「どうして、こんなところに入ってしまったのかな、こんな隠しファイルの奥

深く入り込んでたら、そりゃ、出てきませんよね」「お手数おかけしました。これか

らは気をつけます」と、原稿ファイルが入り込んだ場所は、数々のファイルの林を

巧みにくぐりぬけた、深い森の奥にあった。
                            


 長い“あみだくじ”をたどるようなそのファイルの森の先を思い浮かべた途端、

彼女は10数年ぶりに最近読み返した小説を思い出した。カトリック作家、フラン

ソワ・モーリヤックの代表的な小説『テレーズ・デスケルー』を論じた遠藤周作の

本だった。また同じ本の中で新訳もなされていた。『私の愛した小説』(新潮社)

それは彼の作家人生に大きな影響を及ぼした小説として、深い洞察がされて

いた力作である。『テレーズ・デスケルー』はフランスの田舎の地主の息子と平凡

な結婚した、同じ地主の娘のテレーズの物語である。日曜にはネクタイをしめて

教会に行き、取り立てて欠点もないような真面目で人のいい夫ベルナールと物

事を冷めた目で見るテレーズ。ベルナールは、新婚旅行で行ったルーブル美術

館では、解説書にある有名な絵だけを順番に見に走るような青年であった。彼

は新婚の妻とパリのレストランで食事をする。肉を咀嚼(そしゃく)する彼のこめか

みが”ぴくぴく”と動く。そのこめかみの“ぴくぴく”をじっと見ている妻のテレーズ。

ある日、彼女は夫に毒を飲ませ、殺人未遂を犯す。その深層心理を追ったス

トーリーである。遠藤周作氏はモーリアックが描いた、毒薬を飲ませるテレーズの

“無意識”の心理を大乗仏教のマヤ識、アーラヤ識で解説していた。無意識の

中の「我」=“マヤ識”には我見(自己本位な我)、我慢(独善的な我)、と我愛(

自分だけを愛する我)、我慧(がけい、自分に得するように動かしている我)、そ

んな自分の我癡(がち、心の動きに無知な我)と5つの我に分かれていると解説

していた。その5つの我をもつマヤ識のさらに奥には、“アーラヤ識”という“無意

識”があり、前世までも含めたさまざまな過去の経験のたまり場となっているとこ

ろらしい。アーラヤ識のたまり場を、氏は洗濯機の中で水が渦巻きいているよう

な「動的」なイメージだと言った。その無意識のたまり場、アーラア識のなかには

煩悩、執着の有漏(うろ)種子と、それを浄化すような無漏(むろ)種子が渦巻い

ているそうである。ウイルスが有漏(うろ)種子なら、それを食べる白血球が無漏

(
むろ)種子のイメージである。氏の説明する“無意識”の構造がパソコンのデータ

ファイルの森に似ていることに彼女は気づいた。すると、今まで理解できなかっ

た“無意識”の構造がなんとなくイメージできるような気がした。          


 「ユカさん、シールはがれたわよ~」彼女はきれいにはがれたシールをユカに

見せる。パソコンのデータの中で渦巻いている世界は、普段の生活では人がほと

んど意識していない
無意識の世界の図式に似ていると感じたのだ。ずいぶん

前に読んだ『私の愛した小説』で、テレーズのたどった
無意識の世界にちょっ

とだけ触れたものの、数年後に再読してもやはり理解にはいたらず、なのに、シ

ールはがしの10分ほどの時間で一気に“無意識の世界”のイメージが湧いてし

まった。集中することは、もしかしたら、
無意識への入り口ではないかと彼女

は思う。彼女は集中することで、思いがけないアイデアが出てくることをよく経験

する。それは、掃除機やモップをかけるとき、特に長い時間アイロンをかけるとき

によく感じる。だから行き詰った時、どうしてもアイデアが欲しいときは単純作業

をあえてすることにしている。忘れてしまっていたはずの本の中の文章や、会話

の内容、昔見たり感じた風景がパソコンの隠しファイルの中から飛び出して、森

の中をくぐり抜け、一気に表に出てきて、検索にひっかかる。そんなときは、即座

に頭のデスクトップのアイデアデータファイルに移し換える。アイデアは“ほたる”

のようなものだと彼女は思う。早くその光を捕まえて、保存しないと次の日には、

光を失ってしまう。                                    


 シールはがしを終えたリサコは、そそくさと加工指示書フォーマットを20枚コピ

ーし始めた。過去の遺物の単機能コピー機はおおらかな動きで作業を進める。

彼女はじっとカウンターを見ている。「よし」とつぶやくと、「今、いいアイデア、浮

かんだんでしょう」背後からKの声が聞こえた。「でも絶対教えないんですよね」

はっとして振り向いた彼女に、Kはにたにた笑って、「教えてくれる時は、すでに

そのテーマは終わってる時ですよね」最近少々、見透かされている彼女である。








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木村里紗子 Risaco

























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