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リサコラム

本日のオードブル

第83回


なんとなくカプセル

 
木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンに1990年より勤務し、400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
16年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。好きな作家は夏目漱石、中谷彰宏、F.サガン、プルースト


     効き目速攻、気分は、マラケシュ、副作用なし。

 

       

なんとなくカプセル




満開の桜、その絶景を借景にする席をリサコは指差した。そのとんかつ専門

店は、桜が舞い散る公園の見物席をすべて陣取るように、建っている。「あそこ

でも、いいですか?」昼も3時を回ると、絶景の席は空席が目立つ。「あの、塩胡

麻豆富とぉ、ごはん、お味噌汁、赤味噌で。それに、お漬物3種もりで」いつもの

献立をいつものようにメニュー見ずに注文する。オーダーを聞く新人らしきうら若

き女性は、次にフライものの注文を待ちながら、端末を持ったまま、彼女のほう

を見た。
そりゃそうよね、とんかつ専門店で、豆腐をおかずにご飯を食べる客

はめったにいないわよね
と彼女の気持ちを察し、「えっと、それじゃと、」リサ

コは、一年の内でも絶好のお花見日和だし、さらに誕生日でもあることだし、ち

ょっと奮発して、“とろろの磯辺あげ”も注文してみようかな?と若いスタッフの表

情を横目で見ながら思案した。「じゃ、とろろの磯辺あげも、以上です」
       


 “誕生日というものは誠に嫌な日である”と思った。桜色一色、うららかな春の

昼下がり、人々は年に一度の浮かれ気分で、桜の木の下、宴を催している。年

に数日、絵のように美しい光景を眺めながら自分の年を加算する憂いを思い、

また、数年前の忘れられない出来事を思い、もう一度、免許証を出して確認し

た。平成21年5月、3年間でおそらく50回は確認したであろうが、数日経つとま

た不安になって免許証の更新日を確認する。宝くじの番号にあと3を加算すると

1等と同じ数字になる、そんな宝くじを引いてしまった人の心境とは、こんな心境

に近いのだろうか、などと考える。


 3年前、5年越しの免許更新をうっかり忘れて気づいたときはすでに1ヶ月と数

日が経過していた。必要書類を揃えて、あわてて免許試験場に駆けつけ、公安

の窓口に並ぶと、同じような悲しい境遇の人々の列ができていた。みんな楽しい

誕生日を祝った数日、数ヶ月後であろうが、憂いを帯びた表情は、これから数

時間を講習に費やし、説教を受けるであろう、職員室の前に立つ生徒のような

面持ちである。“まあ、仕方ないわ、これでとにかくお金払って、講習受ければ、

また今日は免許証をもらえるんだし”。あたりを見渡したが、知っている顔はいな

い。こんなところで、自分の知り合いに合うなんてことはありえない。彼女は自分

の順番がやってくると、窓口に必要書類を提出した。「うっかり、ですか?」公安

の窓口の女性は、書類だけ見ながら、印鑑をぽんぽんと押し、同じ台詞を機械

的に発音した。「はい、」とリサコが顔を合わせた彼女とは、ショップの3軒先クリ

ーニング店の顧客の顔だった。「えっ、ここにお勤めなんですか?」「ええ、」偶然

とは皮肉なほどに悲しいシナリオを用意していることがある。「交通安全協会か

ら、いつも誕生日の前にお電話を頂いていたのですが、今回は連絡がなくて
、つ

い、うっかりです。すみません」住所変更をしていなかった自分が悪いのは言う

までもないことで、他に言い訳もできない。“しかしよりによって、こんなご対面な

んて
.”憂いは彼女にとどめを刺した。            


 ほおばりながら、彼女は、また今年も苦い思い出とともに誕生日を、とろろの磯

辺あげで祝った。
とその途端、油でつやつやかに光る磯辺あげの半片は、彼女

の箸をするりとくぐり抜けると、ベルベットのスカートの上に見事な着地をした。

「Oh, my GOT !」こんなときは、映画のような台詞が出てくる。ひざの上に置い

たはずの小さい紙ナプキンはその面積の狭さゆえにその役目も果たすことなく、

きれいな顔のまま、涼しげに彼女を見上げている。ひざにハンカチか大きなナプ

キンを広げておくべきだった。


 『偶然は、準備のできていない人を助けない』今朝職場でスタッフの前で得意

げに披露した、パスツールの名言を思い返していた。「たとえば、こう言うことよ。

お客さまが、これをセットで6個頂戴って言われたときにね、あっ、すみません。

今5個しかないんですよ、って言うじゃない。そしたら、じゃ、仕方ないわね、別

のお店行くわ、って帰られたときみたいなことよ、どう、K君ぐっさりきたぁ?」言い

放つと、Kは、「切り刻まれた気分です」と答えた。プロカメラマン志望の店長は、

なぜかいなくなり、そのうち、カメラを胸に抱えて、ウインドウ越しに朝日に光るケ

ヤキの木を撮影し始めていた。偶然のシャッターチャンスは、カメラがなければ、

神様だって撮れやしまい。思い起こし、彼女は明日から、絶対に自宅の麻ナプ

キンを持参しようと心に誓った。やはり誕生日あたりは、厄日である。


 準備と言えば彼女には大きな準備が待っていた。リゾートホテルのような美し

いベッドルームを、彼女の自宅に作り上げるという大命題が、押しの強い切れ者

Y
子により課せられていたのだった。撮影当日まであと2週間しかなかった。リサ

コはコーヒーとともに、1つのカプセルをごくんと飲み込んだ。手塚治が作りだした

鉄腕アトムと彼女は誕生日が同じである。効き目は2週間続くはずだった。
   


 なんとなくファブリックの生地サンプルをめくると、小学3年生の女の子から誕

生日に贈られたアトムの付箋をつけ始めた。それをもとにスケッチブックに色鉛

筆でイラストを描き出すと、リゾートホテルふた部屋のイメージが出来上がった。

新たに追加するベッド周りのクッション、カーテンなどの必要な加工品の指示書

をすべて書きFAXで送る。それが終わると、自宅にかかっているカーテンをすべ

て取り払い、一つずつ丁寧に布製のゴムで縛り、洗濯機に入れ、つけ洗いにか

かった。その間にクローゼットから新たなカーテンを取り出すと、アイロンをあて始

める。15mのカーテンの上飾り、ベッドスカートのフリルを伸ばしながらまたアイロ

ンを当てる。ベッドリネン、ピロケース、パジャマ、アイロンを当てられるものはすべ

てアイロンをかけた。洗濯が終わったカーテンは干して、半乾きの状態でまたア

イロンをかけ、丁寧にたたむと、リボンで縛ってクローゼットにしまう。繰り返すこと

10日間。彼女毎晩、同じことをなんとなく続けていた。なんとなくイラストどおりの

リゾートホテルの寝室二つが撮影4日前に完成した。さっぱりして、切れ者、そし

てユニークな働きマンの編集者Y子の練達した審美眼にも叶うはずだと思った。

しかし撮影当日、偶然によるさらなるひらめきの余地を残して、ディスプレイ小道

具をそろえ、厚子に説明する。ユカには簡単なイメージを伝えて花のアレンジを

要請する。あとは、ためし撮りを店長にお願いして、Y子に写真を送り、OKが出

れば、準備完了である。
                                   


 カプセルの効き目はすごい。販売員リサコがいったんアトムに変身すると、デザ

イナーになり、イラストレーターになり疲れを知らない有能な家事ロボットになる。

その効き目は、“めんどうくさい”と“あせり”、“気負い”という感情を排除してくれ

る。なんとなく信号待ちしているうちに赤信号が青になるように、年末が元旦に

なるように、なんとなくやっているうちにリゾートは完成した。カプセルの実用新案

は来年4月18日、発明の日にしようかとまだ薬が効いている彼女はなんとなく

思った。






                                      Risaco


























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