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リサコラム
本日のオードブル
第89回


交響曲を聴きながら

 
木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンに1990年より勤務し、400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
16年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。好きな作家は夏目漱石、中谷彰宏、F.サガン、プルースト

    愛着のある棚、愛着のある店内。
     そして、愛着のある仲間、もう、うんざりするくらい。
    

 

       

交響曲を聴きながら





低気圧がやってきたのか、蒸し暑い5月も末。空は重苦しい灰色の雲が、切

れ切れに横たわっている。「蒸し暑いなぁ~」朝からどんより曇った休日はどこか

に出かける気分にも水をさす。それでも窓を開けると、強い風が幾分か蒸し暑さ

を吹き飛ばしてくれた。今にも通り雨がやってきそうな空模様である。“しばらくは

風に吹かれていよう”彼女は決心すると、1枚のCDを取り出し、愛用のテレビボ

ードの扉をゆっくり開けて、スライドの引き出しを引く。オーディオにセットすると、

書棚からA4サイズの分厚い1冊の書籍を取り出した。聞きなれた音がズシリと

響き、雲行きの怪しい音が、空模様と同じような時空間を彼女の部屋に作り出

した。ベートーベンの『英雄』が流れ始めると、彼女は最初のページからいつもの

ように読み始める。表紙には『Ludwig van Beethoven 1770-1820』と

のみ記され、黒い横顔の肖像画が中央に小さく浮き彫りにされている。すでに、

13年の月日が流れていた。長崎のハウス・テン・ボスというオランダの町並みを

再現した場所の宮殿で、『大ベートーベン展』を観て以来。生誕225年という、

いささかこじつけ的な記念日に開かれたこの展来会は、かつてない大規模なも

のらしかった。その時、購入した書籍にCDがセットで付いていた。その後、全国

一斉に『不滅の恋~ベートーベン』という映画が封切られた。           


 もう、何度めくったか知れないそのページは、ベートーベンの正確にはわかって

いない生誕から、壮大な葬列まで、時代背景を絡めながら偉大すぎる芸術家

の作品と人となりを詳しく解説する。そして、有名なドイツ、ボンの生家の鉛筆画

から、その物語は始まる。現存する貴重な自筆譜の数々、多くの肖像画、18世

紀から19世紀の貴族社会の時代を表した絵画。音楽家に致命的な難聴という

病に苦しんだ証拠の品。使い込まれた、"ひしゃく"のような補聴器が生々しい。

それは、筆談を余儀なくされた晩年近くの筆談帳と共に、写真で解説されてい

る。19世紀前半の最も偉大なピアノ製作者といわれる、コンラート・グラーフから

貸与されたマホガニーのピアノ。それは、ベートーベン最後のグランドピアノといわ

れる。ページを追って読み進めるたびに、展覧会で見たそのままが、余韻となっ

てよみがえってくる。だから、展覧会の冊子は必ず買うことにしている。     


 しかし、何といっても、そのときの一番の話題は、死後発見された、弟たちに宛

てた「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれるものとともに、“不滅の恋人”に宛て

た手紙であった。“不滅の恋人”と呼ばれた受取り人の名前も、正確な年月日も

慎重に伏せてあるため、数世紀に渡り、多くの研究者が“不滅の恋人”探しをし

てきた。詳細な検証がなされ、今現在では、当時のボヘミヤの保養地、テープリ

ッツで書かれたもので、相手は、フランクフルトの豪商に嫁いだ、アントニア・ブレ

ンターノ夫人ではないかといわれている。『私の天使、私のすべて』で始まる熱烈

な長い手紙は、倫理的な理由と自己の芸術的使命を全うするために、一緒に

暮らすことができない、悲しい幕引きを彼自身がしている。涙ながらに、『永遠に

あなたのもの、永遠に私のもの、永遠に私たちのもの』と結ばれている。しかし、

なぜ、彼の死後、引き出しから出てきたのか、ほんとうに投函されたのかもよくわ

かっていない。そこがまた後世の人々をひきつけて止まない理由のひとつでもあ

る。交響曲第9番を聞きながら、「こんな巨匠が、こんな手紙を書いたなんて、」

と、不思議な思いに満たされる。亡くなった弟の息子カールの後見人争いで、弟

の未亡人と裁判で泥仕合を演じながら勝ち取った勝利も、カールの自殺未遂に

至る。悪化し続ける難聴という致命的病に絶望しながらも、偉大な作品を残し

続け、生涯独身だった人間ベートーベンの姿を思うと、その苦悩に満ちた56年

の短い人生は果たして、楽しいものだったのだろうかと思った。そう、彼女は13

年間同じCDを聴きながら、同じ文章を読み、自筆譜を眺め、同じ手紙を読み

返してきた。
                                                  


 その一昨日の月曜、スタッフ総出の店内移動は、店長の号令下に始まった。

横幅180cm高さ220cmの大きなスチールの重たい棚を移動するために、そち

こちのものを動かし、その棚のものを別の什器に移しかえるために、また順繰りに

什器を移し替える。その度、クレンザーでふき上げ、2度ぶきし、慎重にたたみ

直し、場所決めで意見を戦わせ、やっと棚に並べて行く。「う~ん、この棚、なん

か違うような気がするんですけど。やっぱりここでウエアに使うのは止めていいで

すか?」「キムラさんは、この棚を毛嫌いするけれど、」「そんなことはありません

けど、やっぱり、この商品にはこの棚、合わないと思うんです」「そんなこと言うと、

地震のときに倒れてきて、下敷きになりますよ」Kは家具をよく人間にみたてる。

「バランスで言うと、やはりフラットな高さの什器でまとめた方がいいと思うんです

ぅ」「そうですか?この高い棚が空間を仕切って、高低差をつけているから、いい

んじゃないですか!」店長とは、いつもながら意見が合わない。しかしながら、家

具、什器、棚、ベッドを何度移動してきたことだろう?週1回は必ずどれかの棚

の商品を入れ替え、移動する。同じ空間の中で、ベッドルーム、リビングルーム、

キッチン、各種クローゼットルームに洗面室、そしてベビールーム、それぞれのコ

ーナーがもっといいレイアウトにしてくれよ!と主張し合うからである。それぞれの

言い分を聞きながら、1X52週X18年=936回!“なんと18年で936回もや

ったなんて!”と呆れるばかりだった。              


 ひとつの空間の中で、それぞれのコーナーが個性を発揮し、全体的に美しい

空間を形作るインテリアショップのレイアウトは、つくづく難しいと感じてきた。数知

れぬ移動を繰り返して、これが最高のレイアウトだと思っても、しばらく経つともっ

といいレイアウトがあるような気がしてくる。歩き回り、違う角度から見て、それぞ

れの香りをかぎ、空間全体から醸し出される音がよどみなく、感動を呼ぶ心地

よい音楽を奏でているか、そう、それは交響曲に等しい。彼女は、交響曲を聴く

たび、インテリアショップの空間作りはそれに似ているように思う。その限られた狭

い空間の中で、アイデアを出し合い、議論を戦わせ、顧客の要望に答えるため、

流行の先端を行きながらも、スタイルを見失わないように、とやってきたような気

がする。インテリアとはまた、その場所を共有する人たちの心と、愛着の物との調

和を取り持つものかも知れない。“愛着の人生とは、物と人間の一体感に他なら

ない”と彼女は思う。                      


 交響曲第9番は朗々と歌い上げる声を響かせ、突風にあおられた雨は、窓を

超えて室内に入ってきた。彼女は愛着の一冊をすばやく閉じると、窓を閉め、遥

か昔から愛用してきたガーゼのふきんで、白く貼りなおした、窓枠とお気に入りの

白いテーブルをそっとぬぐった。                             








                                      Risaco
























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