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リサコラム
本日のオードブル

第97回


饒舌な滑走路

 
木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンに1990年より勤務し、400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
16年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。好きな作家は夏目漱石、中谷彰宏、F.サガン、プルースト


   「 ジョウさん、青い飛行機行っちゃいましたよ」
     「 いいんだよ。どうせ、僕は乗れないんだから」
       

 

       

饒舌な滑走路





「永平寺に行ったんだよね」カウンターで、彼女がひそかに呼び名にしている

”Mr.ムスタッシュ“S氏は、淡々と静かに話を始めた。彼の整った口ひげを称し

てのあだ名だが、もちろんご本人は知るはずもない。「お一人で、ですか?」”うぅ

ん、“と首だけ縦に小さく数回振ると、「琵琶湖の周りを回って、日本海に出る電

車があるんだよね、それに乗ってね」「はぁ、それは何か理由があってのことです

か?」Mr.ムスタッシュはそれには答えず、「琵琶湖は、広いねぇ、景色を眺め

ながら、しばらく熟睡してね、目が覚めて、もう、日本海に出たかな、と思ったら、

まだ、琵琶湖の周りを走っているんだよね」「はぁ、そう、ですか..」彼女は未だ

見た事のないその湖の大きさを近所の周囲500mの大池という池を出来るだけ

拡大して想像してみた。「ふぅ~ん、想像つかない、大きさですね」と平凡な答

えしか出てこなかった。「永平寺は、ずい分前に一度行ったけど、こんな山の中

だったかなと、しかし美しいねぇ。佇まいもだけど、掃除の行き届いた廊下がね、

光っててね、すばらしいね」「お手洗いがまた美しいですよね、いつの間に掃除し

ているんだろうって、誰か見ているのかなと思います」彼女は、ハウステンボスの

ホテル・デンハーグのトイレを思い出した。誰か一人が入った数分後に入ると、

洗面台の水滴は跡形なく美しく掃除されている。どこかに隠れて見張っているに

違いないと思ったことを思い出した。「その廊下をだね、2日間歩き回っていたら

脚がこっちゃってね」とくすりと笑う。「日ごろの、運動不足を痛感しましたよ」「は

ぁ、二日間も、ですか?」「目の前がすぐ日本海の老舗の宿をとったんだけど、

日本海はやはり荒々しいね。夜は満天の星空を眺めながら、ひとりでお酒飲ん

でたんだけど、それも飽きちゃってね、友人宅を訪問する予定も止めて、飛行機

で帰ってきちゃったよ」「そうだったんですね」静かに沈黙を交えながら語りかける

この話し方、誰かに似ている、と彼女は思い出そうとしていた。そうか、”城達也“

だ。26年の超ロングランを続けた、ラジオ番組、”ジェットストリーム“の声優のあ

の、城達也、その人だ!
                                         


  『遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇にこころを休めるとき、

  遥かなる雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、

  たゆみない宇宙の営みを告げています
                   


 こんなイントロで始まるそのラジオ番組を自称機長の城達也氏が務めた。その

”ジェットストリーム“は、1967年から1993年まで、26年間、彼が亡くなる2ヶ

月前まで続いた、JAL提供のラジオ音楽番組だった。ジャズやイージーリスニン

グを中心に構成され、世界中の街角がしゃれた物語で短く語られるから、リスナ

ーは、いやおうなしに旅情をかきたてられ、まんまとJALで旅立つこととなる。オ

ープニングとエンディングのナレーションに先ほどの優美な城達也の声の世界が

繰り広げられる。彼の声は、映画、ロードレース”F1グランプリ“にも深い感動と印

象を残した。高校、大学生時代、深夜12時になると彼の声を聞きながら、勉強

していた日々を思い出す。今はDVDやCDで聞くことが出来るが、彼なき後は、

もうその番組を聴く気がしなくなった。


 彼の声は、たとえて言えばラズベリー、ライム、カシスの深いアロマに、白ばらの

優雅な気品が語尾を締め、ミントやレモングラスの清涼感が後を引く。舌に残る

は、黒トリュフと枯葉の芳醇なブーケ。その声で、『満天の星をいただく果てしな

い光の海を、豊かに流れ行く風にこころを開けば、きらめく星座の物語も聞こえて

くる、夜の静寂(しじま)のなんと饒舌なことでしょう』と結ぶ。彼の語りを聴くことは

”声“と言う名の極上のビンテージワインを味わうに等しいと、彼女は思う。城達

也とは、どんな美男子だろうと想像していた日のことを思った。          


 そんな彼女は飛行機に乗り込むと先ずANAの機内誌を開く。お目当てのペー

ジは、FLIGTH COCKTAL STORY(フライトカクテルストーリー)。オキ・シロ

ー作のそのショートストーリーは、さまざまな国のカクテルを名脇役に夜のバーが

舞台。グラスに漂う男と女の切ない出会いと別れ、ビターの効いた寂寥感に一

人旅の旅人は、いつしか切ない主人公の男の心情に自分を重ねていることに気

づく。読後は、世界中のさまざまな国のカクテルを飲むことなく、甘さも酸味も、

時には苦味も舌に残して、言葉の陶酔に浸ることになる。最終便にやっと乗り込

み、滑走路の果て、ゆっくりと機体が持ち上がるとき、“遠い地平線が消えて、深

々とした夜の闇の中”で、この短い物語に、“こころを休めるとき”、周りを見渡せ

ば、ビジネススーツだらけの無言の黒い一団。“夜の静寂(しじま)のなんと饒舌

なことだろうと”、感じつつも、JALでは、離陸時に城達也のジェットストリームの

オープニングのこのナレーションが流れることがあるそうだが、できることならこの

瞬間、ANAの機内誌のFLIGTH COCKTAL STORYを読みながら、城達

也の声でJALの音楽番組をもう一度聴けないものかと何度思ったことだろう。世

の中には、どうしても不可能なことがあるらしい。思い募るうちに、FLIGTH CO

CKTAL STORYも2007年、最終回を迎えた。一人の旅人は、次はどんな

ストーリーで、狭い空間に身をゆだねたらいいのだろうかと彼女は思った。
     


 粋なショートストーリーの味わいは、行間に沈黙と言う、アロマを漂わせながら、

表現される情景をブーケで包みこむ。ワインを味わうような、舌の感覚に似てい

る。それにナレーションの声が加わると、後味はさらに深みを増し、感動と言う名

の余韻を残す。わずかに1冊手元に残された、2004年のANAの機内誌を広

げれば、静かで饒舌な語り口で、バーテンダーはカクテルを用意する。第27回

のFLIGTH COCKTAL STORYは『苦渋のジェノバ』。イタリアのジェノバを仕

事で訪れた寂しい一人旅の男が、バーで“ジェノバ”と言うカクテルを注文すると

ころから始まる。男は最近、事業家の父を亡くし、その事業もたたんでジェノバに

やってきたところだった。カウンターで飲んでいると、日本人の男を見つけて、そ

の横に座ってきた、若く美しい日本人女性との会話が始まる。沈んだ心に華や

かな明かりが灯る、男の夜更けのバー。しばらくすると、男の亡き父の年に程近

いハネムーン中の相手の男がやってきて、若い女と一緒に立ち去る。男は、『桜

色の灯りがかき消えた空虚な胸へ』、ほろ苦くなったジェノバを力なく流し込むシ

ーンで、ストーリーは収束する。



 仕事を終えると、彼女は散らかった机の上を片付け始める。消しゴムのかすを

小さいほうきで手に落とす。最後に、ティッシュボックスの紙を三角に折って、隅

の方に置く。退社時にはテーブルや机、作業台の上を何もない、滑走路状態に

するという、ルールである。そのルールの名を“滑走路”と呼び合う。





                                      Risaco

p.s.

 今晩はこんな気分で『パリの酒モンマルトル』(オキ・シロー著 扶桑社)に綴ら

れた”FLIGTH COCKTAL STORY”読んでみたいものです。


 『ジェット機に点滅するランプは、遠ざかるにつれ星のまたたきと区別が付かな

くなります』文字という名のこの『音楽が美しくあなたの夢に溶け込んでゆきます

ように』
 。亡き城達也氏の名文句をお借りしました。
























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