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リサコラム
連載288回
      本日のオードブル

失われた明日を求めて

第1回 

リトル・ベル

木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンで400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
19年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。ただしお酒は強くない。
好きな作家は夏目漱石、遠藤周作、中谷彰宏、F・サガン、マルセル・プルースト

  
  「ここは、本を読む場所でも、寝そべる場所でも、
 マクドナルドのコーヒーを飲む場所でも、ありません」
  「わかった。始末書、書き終わるまでちょっと待って」
         
 
      
  








リトル・ベル
 

「マンハッタンの人は雪が降ると1ブロック先でも遠回りして地下鉄で行くらしいよ」

左横に座っているリトル・ベルは私の方に30cmほど身を乗り出して、ささやいた。

いや、ささやくとはちょっと違う。彼にはひそひそ声のつもりかもしれない。でも両隣り

3、4人の耳には、それはロンドンの話しでも、パリの話しでもないということは聞き取

れた。


 「タイでは2、3度気温が下がったら、長袖を着るらしいよ」今度は隣りの7人の内

のひとりやふたりは心の中で、トム・ヤム・クンを思い浮かべたに違いなかった。

 「そう?わかったけど、声、大きいよ」私は怒りを低音の凄味に変えて言ったつも

りだったけれど、彼には風切音ほどにも響かなかったようだった。ここ、中英博物館

の図書室には、300人ほどのインテリジェントな男女の黒や茶や金茶色の頭がきち

んと列をなして並んだが、その中でも隣りのこの男にはうんざりさせられていた。常に

自分勝手で、TPOもほとんどわきまえないから、時々私はTPOをほとんどわきまえ

ずに怒りまくる寸前になることもある。


 ページをめくる音とシャープペンシルをノックする音さえ響くような中でさらに「エッ

フェル塔が取り壊されるらしい」と今度は20人には聞こえる声を出したからだ。もう

頭にきたと思って、思い切り怖そうな顔を作って睨みつけた。

 当然のごとく大きな体を揺らして学芸員のひとりはやって来て、私とリトル・ベルに

向けてイエローカードを出した。ここの図書室はとても合理的にできていて、サッカー

のルールをそのまま採用しているところがちょっと笑えるところだ。それでも、彼は黙

って本を読む以外のことしかしない。鉛筆のおしりで机をこつこつとたたいては「ふん

ふんふん」とアイリッシュセッターの鼻を鳴らすような耳に付く鼻息を立てる。


 「夕方から大雨になるらしい」「えっ?」今度はつられて50人に聞こえるような声

で私は叫んでしまった。大柄な学芸員はやって来て、私たち二人にレッドカードを提

示した。とたん、がっくりと力が抜けて本をバタバタと落とし、壮大な音を立ててしま

った。恥ずかしさのあまり、大柄の体をいいことに学芸員の男の陰に隠れながら、つ

かまったコソ泥のようなみじめな気分で身支度をすると、椅子に掛けた上着をひっ

つかんで裏口の玄関から外に向かった。


 「やっと聞く気になった?」「はっ?」「いったい今日は何が言いたいんだ?」

「外に出たくてね」「それなら、そう言えばいいじゃないか!」

 リトル・ベルという人間を表すにはまず、アイリッシュセッターという犬の性質を思

えばいい。若干足したり引いたり、あるいは割ったりしながら、説明をするのが近似

値になる。その身長187cm体重58kgの体格で出来上がりだ。棒のように細いそ

の体に、弓のようなばねを持ち、狩猟犬アイリッシュセッターの俊敏な足を持つ。

さらに、これはどうして言っておかなければならない。彼はオリンピックの開催国さ

え知らないし、その競技種目などに全くの無知である。一度、今のオリンピック種目

にクリケットを一番に上げたくらいだから。でも、今は使われていないようなフェニキ

ア文字や、古典ヘブライ語などには精通している。しかしまったくの悪筆で文章は

支離滅裂、文字は化学式のようにしか見えない。判読はもちろん不可能。メールな

どはほとんど10文字くらいしか書かない。約束というものを知らない。そもそも、この

世に約束という言葉の存在を知らないのかと思うほど、約束はことごとく反故(ほご)

にする厄介な人間なのだ。


 だから私はいつも彼のことを思い出すとき、晩秋なら、腹立ちまぎれに靴で落ち

葉をケチ蹴散らすか、冬なら雪を蹴散らすか、それ以外の季節ならペットボトルか、

ゴミ袋を蹴飛ばしたくなるから、めったなことでは思い出さないようにしている。でも、

まあほどほどでやめておこう。人間は誰しも欠点を持っているものだし、そう言う私だ

ってもちろんあるはずだろうから。他人の悪口をいう人間にいい人間はいない。そう

思っていつも気持ちを鎮静化させることにしている。


 「外に出るためにレッドカードをわざわざくらうほど、変なやつはおそらく、いない

だろうね」リトル・ベルは私の方を振り返るにやっと笑い、無言のまま早足で駅に向

かった。もちろん私もその後を追って、夕方の雑踏を抜け、地下鉄の薄暗い階段を

降りた。


 今日はこれから野外コンサートを聞きに行くつもりにしていたから、リトル・ベルとは

途中で分かれることになっていた。3駅手前で降りられる6分間にきっと私は幸せを

感じるだろう。

 ほぼ満員電車の中、長身の彼は人の帽子の上に本を置いて、文庫本を読み始

めた。どうして図書館で静かに読まずに、こんな込んだ電車の中で読まなくてはな

らないのか、とてもじゃないが理解できない。私はコンサート会場のある駅に着くと体

3個分向こうにいるリトル・ベルに無言で手を揚げ、電車を降りた。


 外に出ると、夕暮れ時の空は見事なレッドグレープフルーツの果肉に染まって

いた。こんな春のいい天気の日にどしゃぶりになるはずはない。人ごみを抜けると思

い切り、「バカな!」と叫んだ。しかし、図書館を早く出た分、約1時間、時間を持て

余してしまい、開場の6時までどこかで時間をつぶすことに決めた。


 いつものようにフタバでカプチーノのLサイズを注文した。すると、後ろで「二つ!」

と声がした。振り向くと例の面倒な奴が私の顔の横から紙幣を1枚差し出してきた。

「今日のお詫びだよ」私は無言でひったくるように、自分のカップを受け取ると、窓

際の椅子に腰かけ、明日のフランス語のクラスの本を開いて、奴を無視した。当然

のように、リトル・ベルは隣に腰かけ、大きな口を開け、レーズンマフィンをほおばっ

ていた。


 「恥ずかしいとは思わない?」「ぜ~んぜん」「だとは思った」「僕はそれより、君の

運命を想うと可哀そうになったからね」リトル・ベルの言葉はいつも意味不明でとて

も相手にしてはいられない。「なるほど、そうですか!」僕はカプチーノをまたつかん

で、本をどさっとカバンにしまい、立ち上がった。

 「これからコンサート行くから」私は冷たく言い放つと胸ポケットからチケットを抜い

て奴に見せ、椅子の間をなるべく早足に通りぬけた。「知ってるよ」アイリッシュセッ

ターはすぐに私の後ろまで追いついてきて、「ずっと見えていたからね。だから、こう

して先回りできたと思いませんか、助手君?」彼は馬鹿にしたように私のことを「助

手君」と呼ぶ。


 私は怒りに震えていた。その日並んで待った信号待ちがあれほど長く感じたこ

ともなかった。青に変わる1秒前、急ぎ足で渡ろうと3歩先に飛んだ。瞬間、僕の目

の前に、黒い物が飛んできた。とっさに私はつかんだ。それは私の財布だった。「図

書館にいる人間はインテリかも知れないけど、善人ばかりだとは限らないからね。ポ

ケットに財布を突っ込んで椅子に掛けるなら、財布を抜く奴の方が善人かもね」私

は横断歩道の真ん中で茫然といや間抜け顔で立ちすくんだ。そして数秒後にその

時やっと意味を理解した。「サンキュー!」私は他にもっと言葉はないのかと我なが

ら情けなくなりながら、大声で手を挙げた。「こっちこそ、ごちそうさま~」そう言いな

がらリトル・ベルはアイリッシュセッターの足で反対方向に駆け出して行った。


 それ以来、私にいつも注意を喚起してくれる奴という感謝をこめて、その厄介

な奴のあだ名をその時から「リトル・ベル」としたのだ。有名なベル博士の弟子という

称賛も多少込めてはある。






 2012年3月26日より、「失われた明日を求めて」というパロディ仕立ての変な物を書き始めました。

あくまでも副業以下のものでございますので、どうか、軽い気持ちでお読みくださり、

ご期待されませんように。




           
















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