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リサコラム
本日のオードブル
第56回


プチット・マドレーヌ

 
木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンに1990年より勤務し、400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
16年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。
好きな作家は夏目漱石、中谷彰宏、F.サガン、プルースト

     
 ”麗しのマドレーヌ、プルースト現象、信じます。

                     20年かかったけど”

 

       


プチット・マドレーヌ




 「プチット・マドレーヌとはマドレーヌの小さいのではなく、“プチット・マドレーヌ”と

いうものが別にあったと言う説もあります。」半ば冗談めかして、S助教授は学生

たちのほうをちらっと見た。「プルーストの言うところのプチット・マドレーヌをフラン

ス中探し回った研究者もいるようですが、その“プチット・マドレーヌ”を紅茶に浸

して、スプーンで一口味わったとき、思い出がふあ~と果てしなく広がって壮大

な物語が生まれたというものです。それは“プルースト現象”と呼ばれたりもしま

」S助教授はフランスの詩の何かの引用でマルセル・プルーストの『失われ

た時を求めて』について、簡単な解説を加えた。リサコには初めて味わった感動

のアミューズだった。彼女は次のオードブルが待ちきれないかのように、授業が

終わると図書館に駆け込んだ。「誰かが全部借りてしまうかもしれない」。



 マルセル・プルーストの書架は長い一列を厚さ5cmほどもある分厚い『失われ

た時を求めて』のハードカバーで見事に占領されていた。しかも、その“プチット・

マドレーヌ”が存在しているであろう、第1巻はすでに誰かによって借りられ、第2

巻以降がその読者を静かに待ち受けているようだった。リサコはその書棚の前を

ゆっくり、歩いた。最後の巻は、『見出された時』となっていた。1分前までのリサ

コのその焦りと興奮は見事にしぼみきってしまった。壮大な宇宙のような文字列

を読み通せる自信は全くなかった。きっとフランス文学特有の暗喩、比喩が束

をなして濃厚なスープを作り出し、山盛りのバターと生クリームでコンデンスされ

たソースが、メインディシュにこってり覆いかぶさっているに違いない。日常生活

を逸脱してその世界に浸りきって読み続けることは学生の今は不可能だと判断

し、彼女はプルーストを断念した。もとより、フランス映画もフランス文学もあまり

好きではなかった。フランソワーズ・サガンとサンテグジュペリを除いては。それ以

来何度か、ページをめくりはしたものの、一向にその壮大な思い出のメインディッ

シュどころか、紅茶に浸した“プチット・マドレーヌ”のアミューズにさえたどり着け

ず、彼女は今に至っていた。
                                     


 マルセル・プルースト(Marcel Proust(1871-1922))はパリ郊外のブル

ジョワの家庭に生まれ、100年後の私たちと同じように世紀末を生きた。定職に

つくこともなく、社交界で活動の場を見出した趣味人“スノッブ”と言われた。30

代前半で両親が亡くなる。その後、『失われた時を求めて』の最初の原稿を出

版社に持ち込むことになるが、“長すぎる”といわれ、結局自費出版で第1巻を

出版する。その後続編を書き続けることで、残りの人生すべてをこの1つの作品

に捧げるものの、最後の3編は未刊行のまま息を引き取った。没後、遺族が数

年を費やして残りが出版されることとなる。20世紀の文学に大きな影響を与え

た偉大な作家の一人と言われる。夏目漱石が1867年生まれの1916年没だ

から、同時代を生きた文人と考えると興味深い。世紀末は大きな転換を迎える

といわれるように、1世紀前のパリも、やはり馬車から自動車、ろうそくやガス灯

から電灯へと人々の生活も大きく変わると同時に、貴族が没落した時代でもあっ

た。芸術、文化ではアール・ヌーボーの時代と言われる。その後1925年パリ万

博が開かれ、次のアール・デコの絶頂期を迎える。生活も便利になった時代を

享受しながらも、華やかな貴族社会が作りだした文化に思いを寄せる『失われ

た時を求めて』の文字列は、日本語にして400万字といわれる。400字詰め原

稿用紙一万枚である。
                                          


 リサコは400万を静かに電卓に打ち出すと、それを2880で割った。その数字

は毎週彼女が書くコラムの文字数だった。その計算結果をさらに52で割った。

1年=52週を欠かさず続けたとして、26.7年かかることがわかった。彼女は、

その数字を見つめて、一気に自分が老いさらぼえてしまったように感じた。虫歯

に冷たい氷が当たったときのような、ず~んと長い鈍痛が続いて、息苦しさの中

で窒息するような気分を味わった。26年8ヶ月書き続けることなど絶対に不可

能だし、それを読み続けるのも不可能だと思った。『失われた時を求めて』は全

7編のうち、すべてが出版される前に、最終編の手書きの草稿を残し、プルース

トは息を引き取っている。手には校正刷り原稿を持ったままだったという。文章

を書くということは身を削ることではないかとリサコは思っている。そこまでして書

き切ったプルーストの精神力のすごさは、計り知れないと思った。プルーストは、

夏にはフランス、ノルマンディ地方のカブールという海辺のリゾート地で過ごした。

カブールの“グランドホテル”には昼夜逆転の生活をしながら、執筆活動を続け

たプルーストの部屋が残されている。陽光が降り注ぐ美しい海辺のホテルで、昼

間はカーテンを引いて眠り、静寂を保つために自分の執筆部屋を含めて5部屋

を借り切った。雑音と光を嫌ったプルーストは両側2部屋ずつを空き部屋のまま

にして、執筆し続けたと言われている。
                               


 2ヶ月前の暑い夏の日、友人のミエから職場に菓子折りが届いた。「お口に合

うかどうか」と控えめな、ミエらしい言葉が連なった葉書とともに東京の板橋区の

洋菓子店からやってきた菓子折りだった。バウムクーヘンやマドレーヌ、洋酒につ

けたフルーツケーキ、果物のゼリー。未知の洋菓子店の店構えを思い浮かべ、

白い四角な箱から紙のにおいと甘いにおいが混じった懐かしい香りに、“頑固な

店主”と言ったミエの言葉をリサコは思い出していた。「お客さんが『甘くないのは

どれ?』と聞くと、『甘くないのはないです。全部砂糖を使っていますから』と答え

るという。その職人気質の店主の頑固さを受け継いだ、正統で端正な洋菓子の

顔が並んでいた。スタッフたちで分け合い、彼女はその中でも“砂糖の使用量”

が少なそうな2つを選んで自宅に持ちかえった。翌朝は、いつものように紅茶を

淹れる。白いポットに牛乳を半分満たしてレンジで沸騰寸前まで温める。次に、

“英国人の散歩道”というフランスの紅茶をティメジャースプーンで3杯いれ、上

から熱湯を注ぐ。頂き物のマドレーヌは大きな丸い波状の型に入れられ焼かれ

ていた。英国人のミルクティを白い紅茶碗に注ぐと、落ち葉が舞う散歩道の味わ

いに変わった。丸いマドレーヌを半分に割り、また半分に割り、一口大になったか

けらを口に運んだ。


 その3秒後、“プルースト現象”がリサコの中に起きたことがわかった。いまだか

つて味わったことのない触感。マドレーヌのぼそぼそしたイメージとはまったく違う

絹ごし豆腐のような舌触り。チーズを表現するときのような芳醇な味に、リサコは

打ちのめされた。そしてマドレーヌの袋の裏を見たリサコはさらに驚いた。“(有)

白鳥”と書かれてあったからだ。彼女はそれを“はくちょう=スワン”と読んだ。ま

さにプルーストの『失われた時を求めて』第1巻『スワン家のほうへ』を暗示してい

るようだった。翌日、文学書が一番揃っているといわれる博多駅近くの大きな書

店に行き『失われたときを求めて』抄訳版3冊(集英社文庫 鈴木道彦・編訳)

と『プルーストの部屋-失われた時を求めてを読む』上下刊(中公文庫 海野弘

著)を求め、リサコは“失われた時20年”をやっと見出すことができた。     


p.s.

白鳥(洋菓子店)03-3958-4425 板橋区弥生町31-15 



















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木村里紗子 Risaco














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