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リサコラム
連載290回
      本日のオードブル

失われた明日を求めて

第3回 

チェリーブロッサム・クイーン

木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンで400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
19年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。ただしお酒は強くない。
好きな作家は夏目漱石、遠藤周作、中谷彰宏、F・サガン、マルセル・プルースト

  
 「おお、美しき夜明けだね、助手君!」
 「君から、そのセレンディピティとか取ればまともになるよ」
         
 
      
  






チェリーブロッサム・クイーン
 

 

夜の8時からオープンする並木通りの小さなバーは、当然のことながら常連たち

の溜まり場になる。10人も入れば満杯になるカウンターとテーブル席には、時折、

ビリー・ジョエルの”ピアンマン”が流れる。そんな常連の連中の中で、私は彼らと距

離を取って孤独を守ってきた。


 私は仕事帰りの重い足を少しは軽くして帰ろうかと、バス停前のバーのガラス窓か

ら中の様子を伺った。薄暗いカウンターの上から、一条の細い光はグラスの氷に落

ちていた。5、6人のサラリーマン風の男女。それに2人の白いひげを生やした紳士

風の男性。「おれだって、ここから出られれば、映画スターになれるんだが」と、ピア

ノマン兼バーテンダーに言っているのだろうか?


 私は10秒ほど躊躇してからドアを押した。カランコロンと心の氷を解かす音に迎

え入れられる。「おかえりなさいませ」「ああ、ただいま」カウンターの右端に座ると、

すぐに手のひらに乗ってきた熱いおしぼりで手を拭いた。「いつものになさいます?」

「いや、今日は看板のあれ、チェリーブロッサム・クイーンにしようかな?おすすめな

んだよね」「ええ、もちろん」私は胸ポケットから札入れを出して、すっとカウンターに

置いた。カウンターの向こうのショートカットの美しい女性は比較的無口なバーテン

ダーで自分からで話しかけることはめったにない。


 しかし、キャシュ・オン・ディバリーのバーはいい。摂生力も節制力も薄きわが身に

は、この制度は実にいい。しかし、薄い札入れを持つ私のような人間はこのように節

制力に乏しいのはなぜだろうか。それほど貪欲でもなく、別に変ったことをしたいわ

けでもないのに、常に何かを欲しがり、そして得られず、与えられない欠乏感にさい

なまれている。そんな情けなさをなぐさめるために、こんなキャシュ・オン・ディバリ

ーのバーはあるのかとも思う。対価交換を実感しながら飲む気分は、しかし、さらに

欠乏感と向き合うことにもなる。


 「お待たせいたしました」3つ星ホテル風のそのアクセントにも似た、淡い気品を匂

わせるごく薄い桜色、「チェリーブロッサム・クイーンでございます。どうぞごゆっくり」

「ああ、うれしいね」私は昨晩書き上げた小説の原稿を鞄から取り出すと桜のクイー

ンを味わいながら口の中でもぐもぐと読み始めた。予想外にさわやかな桜もちの葉っ

ぱのような香りは鼻いっぱいにそして頭から突き抜けた。


 文字は黙読と音読では大きな違いがあるものだ。私の登場人物はその言葉を発

しながら動き出す。そうか、私は気付いた。言葉には人間みたいにいろんな性質や

個性を持っているということに。人それぞれ能力や運命に違いがあるように、言葉に

もいい言葉、悪い言葉、運気を感じる言葉、そうでない言葉、スピード感ののあるも

の、緩慢なものなど実に人間それぞれの要素に似ていると思う。まあそれも人間を

表すために人間の作り出したものだから当然と言えば当然だが。しかし、こんなラブ

ストーリーを書いたところで何になるだろう。懸賞に応募しようという気持ちさえ起ら

ないほどの出来だということは自分でもわかっている。


 何か足りないんだ。その何が足りないかはどうしてもわからない。10篇の短編物

はまるで自分のように何かを常に欲しがりながらショッピング街を歩く人間のように

常に何かの欠乏症にかかっている。それは物なのか、それとも、それから得られる

心地よさとか、いい気分とか満足感とかそんなものだろうか?自問しているのは自

分なのか、それとも登場人物なのかさえ、わからなくなってきた。「いや、それでいい

のさ」とまた自己判断を下した。


 「今晩あたり、最後かもしれませんね」「だね。きっと」カウンターの右窓からは川

の流れを見降ろすようにしだれた桜の枝は川面にはらはらと花びらを散らし放題散

らしている。まるで風任せに生きている人間のようだ。つまり、私か?そんなことはま

だないだろう。


 「おいしいね~」「ありがとうございます」「でも、これ、クイーンて名前ついているの

はどうして?もしかして、これを飲んだら幸運なんかやって来るとか?」「その通りで

す。桜の季節は運気も高まるんです」「ほう?」「北半球で1か月半ほどの間で一斉

に花が咲くでしよう。みんなに待ち望まれて」「うん、嫌いな人間はそうそういないよ

ね」「その人間の期待感は非常に高いエネルギーとなって地上に返ってくるんです

よ。その散る花の下に居られたら最高の運気を得られるそうです」「ほう?」彼女は

スピリチュアルみたいなものを信じる方なのかもと思った。


 「うん、そんな気もするね」「ここを出られた後、きっといいことが起きるはずです」

「そう、期待しようかな」


 私だってこの今の現実から抜け出せたら、映画スターにだってなれるさ。とはもち

ろん思ったことなどない。どんなすごいことが起きようと、それは自分以外の人間に

起きることであって、自分に起きることでは決してないのだ。まあ、庶民感覚の庶民

て、ことだな。庶民にもいくらも段階があるけど、一番下の段じゃないはずだ。きっと

下から3段は上がったあたりにいるはずだろう。最近はそれでもちょっとは上に上り

はしただろうか。


 手の中の幸運のドリンクはもう底をついてきていた。胸ポケットからまた札入れを

出そうかどうしようかとまた薄っぺらい節制力と勝負した。


 「幸運は2杯目からです」「うまいね~」私はまた1枚札を出した。「2杯目は確実

だね」「もちろんです」こうして私の節制力は日を追うごとに薄さを増す。


 「風が強くなってきたね」私は薄ピンク色のシーツを広げたような川面を眺めてぼ

そりとつぶやいた。「もうあと1日で、葉桜でしょうね」手を休めずにバーテンダーは3

つ星ホテルの受け答えを守る。「そろそろ、失礼するとするかな」私は来るときより少

しは軽やかな足取りになったつもりだった。こんなささやかな幸せで十分だ。仕事は

一応あるし、住む家にも困ってはいない。帰り道にときどきこの節制力を試す自分

がちゃんといれば、それほど困ることもないだろう。


 「それじゃまた」私はビリー・ジョエルのピアノマンに出てくる人間たち気取りのやつ

らに軽く手を挙げると店を出た。桜並木の夜風はまだ冷たい。なんかかこう、このま

とまらない頭と気分をすっきり取りまとめて預けて解決してくれる場所はまだどこか

にあるはずだ。私はチェリーブロッサム・クイーンのおかげで幸運の名のつく落し物で

も落ちては来ないかと桜の木の花びらを浴びた。


 ”りりりりり~ん”もしや幸運のクイーンか?いや、やはり、反対のまさかだった。

「今晩から空いてるよね?」「はっ?リトル・ベル、明日は仕事だよ」「それじゃ、OK

だね。実はすごい物件を見つけたんだ。桜あるところ、幸運ありだね」「ぜんぜんわ

からないよ」「それじゃ今晩迎えに行くよ。助手君!」「ちょっと待った!今度は何の

用だよ?」「公園の桜の下でひらめいてね」「また、セレンディピティってことかね」

「そしたら見つけたんだよ。サイコーイカス家なんだ」「またまた偶然の発見ですか、

ベル先生?」「きっと気に入るよ。寝袋を頼む。今夜はそこに泊まりだからね。まだ

ベッドはないんだ。まず、朝日を浴びに行こうぜ!」


 こうして大体、幸運はリトル・ベルの方にやって来て、それに引きずられる羽目に

なるのは今のところ私の運命だとでもいうのか?

 私のチェリーブロッサム・クイーンは私に似ていつも出遅れる、ずいぶんのろまの

クイーンのようだ。







               






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シンプル&ラグジュアリーに暮らす』
-ベッドルームから発想するスタイリッシュな部屋作り-               

(木村里紗子著/ダイヤモンド社 )                      

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