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リサコラム
連載291回
      本日のオードブル

失われた明日を求めて

第4回 

失われた寝袋を求めて


木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンで400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
19年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。ただしお酒は強くない。
好きな作家は夏目漱石、遠藤周作、中谷彰宏、F・サガン、マルセル・プルースト

  
 「お忘れなのはネグレスコ?」「いや、寝袋です」
 「ネグレコ?」「いや、ねぶろくです」「めぶろく?」
 「いや目黒区です」
         
 
      
  







失われた寝袋を求めて

 

 彼の見つけたという、家はどんなものなのかほとんど興味もなかったし、ましてや、

明日は仕事だというのに新居の下見に寝袋を持ってまで付き合わされる義務はも

ちろんなかった。明日の授業の予習もしなくてはならなかったし、やるべき雑務を思

うと不安のあまり、ハーゲンダッツのドカ食いをやりたくなっていた。


 私は疲れていた。早くシャワーを浴びて、予習を済ませて眠りたいと願っていた。

しかし現実は、家中のクローゼットを開けまくり、寝袋を探し回っていた。毎度のこと

ながら、今の私の人生設計はリトル・ベルによってなされているように思えた。


 確かに寝袋はどこかにしまったはずだった。クローゼットの中の物をひっかきまわし

到底寝袋など入りそうもない引出し迄すべて引っ張り出しもした。さびたスケート靴

に、登山靴。これなんかもう10年は使っていない。さらに真っ赤なバイク用のジャ

ンパー。今もしもこんなものを着て通勤でもしようものなら、学生たちの笑いモノにさ

れ、「へぼ仮面ライダー」と不名誉な名前を付けられるだけだ。まあ、バイクはほっ

たらかしでもう乗れる状態ではないだろうけれど。当然のことながら、登山の趣味も

忘れ去った過去のものだ。今は校舎の階段を4階まで上るのでさえ、息切れを感じ

るほどだから。そんな過去の遺物の間にはさまった膨大な紙の山。捨てていいもの

か、取っておくべきかの判断をするには、おそらくこれを集めて来たくらいの時間が

かかるだろう。入学してここに引っ越してきて以来、すでに8年も経過して中身も不

明なくたびれた段ボール群。「本」と書かれてはいるものの、小説なのか漫画本な

のか、研究書なのかも不明なまま、開ける日を1日に1日ずつ先の予定していたた

めに、今も365日X8年の延期の記録を更新しつつある。


 私はときどき自分の怠慢さにうんざりするのだが、そのうんざりさえ、1日先送りし

ているために、段ボールを開けてクローゼットを整理する日は今まで来なかった。


 私は寝袋のことを忘れてガラクタの中から宝探しを始めていた。「ラリラリラリラ、

ララリリ、ラリラリラ~」キッチンの方から、醜悪なメロディが聞こえてきた。今どきのポ

ットはユーモア精神に富んでいるのか、おせっかいなのか、丁寧すぎる呼び出し音

でたかだかお湯が沸いたことを知らせてくれるのだ。


 私は誕生日にYukaから届けられたプチットマドレーヌでお茶でも飲んでから続きを

やろうと決めた。私はマグカップで紅茶を作ると、100年ほど前、フランス人の長大

な小説を書いた作家の習慣を真似てみた。プチットマドレーヌのかけらをスプーンに

置き、紅茶に浸した。その作家はスプーンを口に運んだ瞬間、記憶は芋づる式に

目の前に現れて彼のペンを通して「失われた時を求めて」という超長編の私小説を

書いたという。


 私はキッチンのカウンターにほお杖をついて時計の秒針をながめた。時計の秒針

を1秒ごとに時を刻ませるようなった理由は、部品をひとつ減らすためだったという

話を思い出した。この家で刻んだ、365日
8年X24時間X60分X60秒は何か

意味があっただろうか。クローゼットの中のガラクタを突き付けられて私は落胆の領

域に近づいていた。


 プチットマドレーヌと紅茶で15分あまり経っただろうか、しかし、残念なことに、寝

袋のありかを教えてくれるような気の利いた天使のお告げは聞かれなかったし、目

の前のガラクタは何も教えてはくれなかった。ガラクタが象徴している閉塞した私の

人生の問いに答えなど見つかるわけもなく、無為な900秒は過ぎ去った。きっとも

うあと30分もすれば奴はやって来て、「寝袋はまだか~」と叫ぶはずだ。


 私は重い腰を上げると、ガラクタでいっぱいになった部屋に戻った。すでに廊下も

バスルームさえ、ガラクタの山になっていた。試供品の洗剤にシャンプー。手ぬぐい

いタオル。使うことは一生ないだろう油絵のセット。巨大なゴルフボール2個がご丁

寧にも上に乗った一組の木製のブックエンド、ゴルフの景品だ。センスをいう言葉

はどこにもない。どこかのドライブインで買った木彫りの置物にお守り数個。今は使う

こともなくなったパーカーの万年筆に便箋や各種ポストカードの10枚組セット。昔は

こんな10枚組の絵ハガキを登山記念によく買ったものだった。


 懐かしい記憶はどんどん広がって、高原に咲くミヤマキリシマに、そのほか名も知

らぬ可憐な花を写真に納めた写真帳を広げて、私は手を止めた。雄大な緑の草

原と山々をバックにした過去の時間はあまりに美しすぎて、たとえトイレを我慢して

写ったものだったとしても美しい一瞬に思えた。その写真の横にはスキーの板を抱

えた私とリトル・ベルの写真があった。もう、6、7年前になるだろうか。スキー合宿の

時のものだった。しかし、その時の写真はこれ1枚しかない。その理由は簡単だ。ス

キーの下手な私の写真はすべて削除しただけだ。写真の私はずいぶん若いが、リ

トル・ベルはまったく今と変わらず、不気味な笑いを浮かべニヒルを気取っている。


 彼はベル博士の下でワームホールとかいう穴の研究をしている。つまりタイムトラ

ベルする方法を研究していると言えばいいのだろう。ワームホールという穴は時空に

ある虫食いみたいなもので、恐ろしく小さいらしい。1ミリを1000兆で割ったよりさら

に小さい穴だというが、その穴が過去と未来をつなげている穴らしいのだ。その穴を

通れるくらい人間が小さくなれば、過去と未来を行き来できるようになるそうだが、

私には何度説明されてもさっぱりわからなかった。


 記憶とはほんとうにいい加減なものだ。その記憶を所有している自分とは、もっと

いい加減なものだ。私はガラクタに占領された部屋の中で、もしもスピルバーグの

映画に出てくるような異星人がやってきたら、ガラクタとそこに埋まっている私を区

別できるだろうかとそんなことを考えた。疲れ果てた私はクローゼットの扉の前で座り

込んでいた。


 ほどなく、玄関のチャイムがけたたましくなり、しばらくしてケイタイもなり始めた。私

は決意した。もう、リトル・ベルに振り回される人生は絶対に阻止したいと。私はどち

らも無視した。寝袋なんて、もうずいぶん前に処分してしまったはずだし、そもそも、

そんなものをどうして私が用意しなければならないのか!怒りは電子レンジの中の

ゆで卵同然、圧力は爆発寸前まで高まっていた。明日は仕事だと言った私のこと

などまるで虫けらのように無視して、さらに自分勝手な行動を私に強要する彼の非

常識を思い、私は鳴り続けるチャイムに耳をふさぎ、ケイタイを放り投げた。


 10分も経っただろうか、私は恐る恐る玄関に出てみた。あんな奴はとうに帰って

いるはずだった。しかしリトル・ベルはドアの横に座り込んでいた。私は叫んだ。

「行くのは断固、断る。君のおかげで寝袋ごときを探させられた人間の迷惑がわか

るか!」「そうか。これでガラクタを処分する決意はついたかな?寝袋はスキーに

行ったとき、僕にくれただろう。僕が持っているよ。それより早く出発しようぜ。ベッド

もちゃんと用意してあるそうだからね。新しい家に招待するよ!」


 5分後、私はミニの後部座席で、リトル・ベルの口笛を聞きながらずっと無言だっ

た。固い決意もたかだかお湯が沸く時間内ほどしか持たなかった。






               



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シンプル&ラグジュアリーに暮らす』
-ベッドルームから発想するスタイリッシュな部屋作り-               

(木村里紗子著/ダイヤモンド社 )                      

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