初夏の明け方の空気を吸い込みながら、私は日曜の朝、地下の駐車場に車を止める

とエレベーターホールに歩き出しました。


　　　　　　　　　　　　　


　再びエレベーターのドアが開いてクラブラウンジに向うまで、メンバーは何の目印

もない細長い廊下を曲がりながら歩くのです。防犯のためにそのように設計されたよ

うですが、曲がり角を間違えると行き止まりになっていたりして、慣れないととても

わかりにくい通路なのです。そして一度迷い始めると、まるでアミダくじを上下行っ

たり来たりしながら永遠にたどり着かなくなる初心者マークのメンバーもいて、その

多くの人は途中にある非常電話BOXに手を伸ばすことになるのです。そして、警備員

に先導されてラウンジにたどり着くという始末なのです。


　　　　　　　　　　　　　


　それも度重なるため、何とかできないかとたびたび役員会で議題に上り、それでも

解決策に至らずに数年が経っていたようです。しかし、未だ進路の方向を示すものを

壁に貼るなどの方法は誰からも提案されなかったようでした。


　今日は日曜会の役員になってから初めて朝７時からの会議兼朝食会に出席する日で

した。そして、わかりにくい道順の方向指示をどうやって表すかという議題が今朝の

会議で話し合われるのです。


　　　　　　　　　　　　


　日曜の朝７時から会議が行われる理由は、メンバーの中に日曜に仕事を持っている

人たちが数人いるためだけではないと私は思いました。「会議は早朝に限る」。これ

を痛感している人たちが決めた時間ですから、一番時間効率がよいということだと思

います。デリケートな問題も冷静な頭で議論され、素早く正しい結論に至るからだと

思います。


　　　　　　　　　　　　


　私はエレベーターのドアが開いた時、すぐに、私より先に今朝、登って行った女性

がいることがわかりました。ということは…私はエレベーターの中ですぐに結論を

出しました。まずは自分の部屋に行き、引出しの３番目を引いてスニーカーの入った

麻袋を持ってゆく。それを持ってまずは、室内のテニスコートに行くことにしよう。

そこで先にいるはずの彼女と３０分間汗を流して、それからスパに行こう。


　　　　　　　　　　　　


　私はすぐにエレベーターの中からスパに連絡を取り、予約時間を4０分先に延ばし

たいと伝えました。


　　　　　　　　　　　　


　２つあるスパのその一つの個室はチョコレート色のバスローブが置いてあり、チョ

コレート色とホワイトの市松の床、家具や壁の一部はチョコレート色なので私は勝手

に“ショコラルーム”と呼んでいました。実際は101と102という番号がついている

だけなのです。その102を私がショコラルームと呼ぶようになってから、いつの間に

かスパの受付のスタッフもそのように呼ぶようになりました。そしてこのスパの個室

は私の大のお気に入りになったのです。


　　　　　　　　　　　　


　私はリラクシングスペースで着替えを済ますと、バスローブを巻いて低い階段を4

段上って泡のお風呂につかりに行きました。途中、ベージュの大理石が貼られた壁の

中にくり抜かれたアーチ窓からは明るい光が差し込みます。その先にはブルガリアン

ローズのもくもくした泡がたてられているバスタブが待っているのです。そこで私は

少しひんやりとした空気の中でローズの泡の中に身を委ね、1週間の気分のアクを出

し切るのです。


　　　　　　　　　　　　


　聞こえてくる音は何もなく、ただ、5月に咲き誇るイングリッシュローズの香りに

包み込まれて、およそ20分間うっとりと別の世界に浸るだけなのです。お隣の個室

“フレーズ”の彼女もきっと同じ気持ちでブルガリアンローズの世界に溶け込んでい

るのだろうと泡の中で想像をしていました。


　　　　　　　　　　　　


　それから1時間後、私と彼女はローズのお風呂から出て身支度を終えると7時の会

議に出席していました。日曜会議のメンバーは彼女と私を除くとすべて年齢も上の男

性の社長さんばかりなのですが、初めて出席した私の出した提案は満場一致で可決さ

れたのです。会議はほぼ１５分で閉会しました。そして私たちはゆっくりと和やかな

朝食を終えました。


　私の案は、進路の天井に設置した専用の装置からラウンジまでずっとイングリッシ

ュローズの香りを流すという案でした。


　　　　　　　　　　　　


　朝食会議を終えて駐車場に来ると、私は車に乗り込み、それから勤務先の大学病院

に向けてゆっくりとハンドルを切りました。


　私と彼女の残した芳醇なブルガリアンローズの残り香はまだラウンジに漂っている

だろうと想像しながら、窓を開けると、そのさらに残り香を長い髪から朝の空気に放

ちながら、ひとりつぶやきました。

　 　

　
「汝、議論せず、香りを放て」ほくそ笑んだわけではありませんが。

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